今日の子育てと学童保育の役割 〜霧島市&鹿児島県児童クラブ連絡会のとりくみから〜

 2011年9月10日、ニューライフカレッジ霧島「隼人学〜地域の『学び』から、多様な『つながり』へ」の講座が霧島市隼人町「天降川共同利用施設で開催され、その講師として『子どもたちの育ちと居場所づくり〜今日の子育てと学童保育の役割』と題して、「霧島市児童クラブ連絡会&鹿児島県児童クラブ連絡協議会」の活動報告を行いました。
学童保育の歴史
  「働く親を持つ小学生には学童保育の保障を」から始まる。
 ■法制化以前の政府の考え方(1991年以前)
 「留守家庭児童対策については、従来から児童館においてこれらの児童に対して必要な指導をおこなうとともに、子供会等の地域組織の育成等に努力しているところである」
  (国会で採択された「学童保育の制度化を求める請願」に対する政府回答)
 ■1998年4月 児童福祉法が改正され、「放課後児童の居場所づくりとして、学童保育が法制化」される。
国分・隼人児童クラブ連絡会から霧島市児童クラブ連絡会、そして鹿児島県児童クラブ連絡会へ
 1997年の児童福祉法改正を受けて、これまでより、同事業に対する利用が市町村に実情に応じて、財政的にも進めやすくなったことと、隼人町でも若い人たちや父子・母子家庭などが働きやすく、子どもたちの安全が保てる環境を作っていくためにも、是非進めていってほしいとの思いから、児童クラブをこの地区にも作ろうという動きが出てきたのが、1998年の夏休み前のこと。自治体が率先してつくるという動きはなく、それじゃあ、必要としている保護者がここはガンバって、自助努力のもと「児童クラブをつくる会」発足させ、取り組んできました。
 お隣の加治木町では97年に児童クラブが発足としており、その経験に学びながら99年4月にはどうしても開設したいと、なかば強行的に進めてきました。
 場所探しと子どもたちを募集するためにアンケートを保育園などにお願いし、町に対する開設の要望書、街頭での署名、学校への敷地内設置のお願いなどやれることは短い期間にすべてやり、いざ行政的な手続きが整ったとき、場所が確定していないという状況……そこで学校近くの神宮内駐車場を期間限定で無料借り受け、そこにプレハブを建てました。なんとか4月の新学期に間に合い、隼人町で初めての「宮内児童クラブ」開設となりました。
 思い立って8ヶ月余りで開設できたのは、児童クラブを必要としている保護者の思いと積極的な関わり、そして無理をお願いした指導員をはじめとする多くの人たちの協力がありました。夏休み明けには、宮内小学校敷地内運動場北側に「児童クラブをつくる会」や保護者が負担して購入した16坪のプレハブの設置ができ、一年目は試行錯誤の連続のなかで運営してきました。
 二年目は、子どもたちも増え、指導員の定着を図ることができてきています。保護者の関わりもバザーや親子キャンプ(8月)、また月一回の保護者会など子どもや保護者の関わりを勉強していこうという余裕が出てきています。そこで、県内でも先進的な松元町児童クラブとの交流会を通して、運営上いろんな悩みを交流することができ、じゃあ身近な国分・隼人の児童クラブ(準備会を含めて)連絡会みたいな情報交換と経験交流の場を持とうと、2000年10月相談会の呼びかけ、11月25日の連絡会発足となりました。現在、国分のこひつじ児童クラブ(99年4月発足)と宮内、同じく隼人町のとみくま児童クラブ(01年4月発足)、国分の青葉児童クラブ(02年4月発足)、向花児童クラブ(03年4月発足)五つの参加となっています。
 指導員の研修会や児童クラブの運営上の経験交流、情報の交換、そして連絡会としての各自治体への施設設備、維持管理経費や研修会など児童クラブの運営に関わる来年度予算要求を行ってきています。姶良郡内や鹿児島市の児童クラブなどとの交流・研修を行ってきました。
 2005年11月17日、1市6町が合併し霧島市が誕生したのを契機に、2007年2月4日に霧島市児童クラブ連絡会を結成し、6月3日にはおおすみ学童の会と霧島市児童クラブ連絡会の呼びかけで鹿児島県道クラブ連絡協議会を結成してきました。
 連絡協議会は、県内の各児童クラブの現状点検と、ケースワークを共同で研究し合う「場」として進めていきたいと思います。また、研修・交流と情報提供をもって、互いに連絡・協調する協議体として進めていきたいと思います。今後は、を積極的に働きかけたいと思っています。
霧島市ニューライフカレッジ霧島「隼人学」講座 レジメ(PDF)
「今日の子育てと学童保育の役割」パワーポイントデータ(PDF)
「学童保育から見えてくる“生きる力”って、何?」(PDF)

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